〈歌舞音曲〉→〈曲〉芸・その2
他方で、芸能はというと、その起源は古来のシャーマン儀礼であり、不可知の世界との同化行動(神がかり=神事)と模擬行動(まねび=神遊び)から派生した祝禱(シュクトウ)芸にあります。
したがって、芸能はそもそも宿業(シュクゴウ)という因果応報の世界からの救済である宗教的領域に属するものであり、現世と他界(救済)との往来はお手のものですし、究極のところ<遊び>に昇華されますので、その自由度は高く、祭りなどの集団の場では無目的なエネルギーが発露される時空そのものとなるわけです。
私たちの日常生活は、因果応報の〈原因→結果〉の連鎖からなり、政治・経済・法律・科学などの人間の営為の多くは、この因果律によって動いているように見えます。
しかし、芸能・芸術の世界では精神的因子(心・魂・意識)と物質的要素が同時に存在する共時律=シンクロニティによって形成されています。
シンクロニティとは意味のある偶然が同時に起こる現象をさし、ある出来事がおきた時に何らかの原因による結果として捉えるのではなく、あくまで一回性の偶然として捉え、そこには主観的心的状態と物質的客観性とが同質化し、相互依存しているとみる訳です。
このように芸能・芸術の行動原理は全て共時律であり、シンクロニティによって伝播していく世界であり、因果応報の呪縛の構造がほとんどありませんから、身分や性別・世代や国家・国境といった既成の枠をやすやすと超えることもできる訳で、その世界の自由度が高いのは当然であるといえます。
芸能の伝達は、〈原因→結果〉という直線的な連鎖でひろがっていきません。
共振・共鳴してお互いに行き来したり、繋がりあったりしてシンクロしていく世界ですので、その伝播はどうしても循環的であり、螺旋(らせん)状に曲がってしまうのです。ーーーーですから〈曲〉芸ですね。
そして、曲芸はアナザーワールドであり、周波数・波長や位相などを合わせ同調さえできれば、いつでもその世界の扉を開いてくれ、私たちを迎え入れてくれるありがたい存在です。
私たちの日常の暮らしのすぐそばにいつでも〈遊び〉という別世界を形成してくれているわけです。
曲芸に思いをはせれば、仕事に行き詰まったとき、あるいは仕事がなくなって落ち込んでいる時に、ただ〈遊びなさい〉といってくれます。そして遊びの中に身をおけば、ひょっとしたら天からの恩寵(おんちょう)の流出が現出するかもしれません。