園林思想
中国5世紀の宗に始まる南朝では、当時の貴族の間で園林という庭園空間の楽しみ方が流行しました。
宗の都・建康(現在の南京)を中心に第宅・園林(邸居)→郊居→園田居→山居とひろがるシーノグラフィー(遠近法的配景)を所有し、豊かな生活を全うしていました。
そして彼らは中国特有の山水趣味に裏打ちされた、
この生活・娯楽空間のことを、総じて<園林>と呼んでいた訳です。
このシーノグラフィーを簡単に現代風にまとめると次のようになります。
第宅・園林(邸居):都市における自邸の庭であり、歌舞音曲を楽しむ場 = 家庭・宮殿
郊居:郊外において、主として風景を楽しむ場 = 別荘・離宮
園田居:田園・里山地帯において、主に旬の味覚を楽しむ場 = 別荘・荘園
山居:山野において、自然と精神的交流をする為の場 = 庵
私は、この第宅・園林(邸居)→郊居→園田居→山居へとひろがるシーノグラフィーを現代日本の都市生活者の生活構造の根幹をなす思想としてとらえています。
庭は趣味・娯楽・遊びの部分であり贅沢なものというのが一般的な考えでしょうが、この4つの園林に内在する本来の役割を問い直してみると、個々人のライフスタイルの全体像を映しとる姿見が浮かび上がってきます。
〈第宅・園林(邸居)〉では、家庭をささえる職業と、それに起因するストレス、そして、その解消法としての歌舞音曲のシーンがみえてきます。
〈郊居〉は風景を楽しむ場であり、日本には花見・花火・月見・もみじ狩り・雪見などの伝統があります。
中でも重要なシーンは睡眠から覚醒するときの夢見にあるのです。
人間は肉体と精神からなる存在であり、肉体的病いに対する自然治癒力は自明のことと思いますが、毎日の目覚めの際に認知できる明晰夢が精神の自然治癒として働いていることは案外知られていません。
このように郊居は睡眠の後にくる夢見の場ですが、一方で〈離れ〉としての役割では、茶室・喫茶の場として癒しの空間をなし、またファッションやアートを通じ、総じてイメージ力をはぐぐみ、〈園林〉のなかでも重要な位置を占めています。
〈園田居〉は収穫し、旬の味覚を楽しむ場であり、食や旅行に関わるシーンですが、ここでは自然の風物や旬の時季を感知する力の獲得が大切になります。
〈山居〉では自然・宇宙のパワーを享受し、瞑想や祈りを通じて、生命体としての再生(簡単に言えばリフレッシュということですが)をはかるという具合です。
園林の4つの庭のシーンを想いおこし、自らの生活の全体像を見つめ直してみると、欠落している部分が見えてきます。
欠落している部分は補えば良いし、もともと大切にしているものは、より充実させれば良いのだと思います。
現代の住宅事情や都市環境の諸問題を顧みるにつけ、住時の、かの園林貴族と比べ財力・権力の点では劣っているものの、そこを<自分らしさ>という質でカバーし自らの具体の生活像を描き直すときがきていると思います。
趣味・娯楽のシーンを顧み、自然の風物をイメージし、旬の時季を認識する力を獲得する方が、ライフスタイルの確立の為には大切ですし、ひいては、その人・家族の日常の暮らしの全シーンを考えることに繋がっていきます。
その様は十人十色、百人百様です。
園林的ライフスタイルなんて、ちょっと素敵じゃありませんか。
どこの庭でもいい、できれば天気の良い日に、日がな一日、庭をながめてみると心が和み、至福のときが訪れるのを、じっと待つ心持ちがしてくると思います。
庭から教えられることは多々ありそうです。