〈歌舞音曲〉 → 和〈歌〉
古今集の仮名序に
やまとうたは 人の心をたねとして よろづのことのはとぞなりにける
と、あるように
和歌は「やまとうた」であり、日本固有の歌謡です。
古来から日本人は「神」を、一神教的な絶対神や仏尊のように、人を原罪や業苦から救済してくれる存在とは認識していませんでした。
神と人は神人元一(もともとひとつ)であり神人不二の関係で、日本の神はすべて生身の人間として、かつてこの世を生きたものたちであり、今も私たちの身中奥深くに霊魂のかたちで存(あ)るものなのです。
日本最古の歌集である万葉集では、天皇から貴族・官吏・防人・大道芸人・農民などの庶民にいたるまで様々な身分の人たちの歌(うた)が収められています。
この事実は、この国の成り立ちにとって、きわめて重要です。
日本では「民は国の御宝(みたから)」であり、天皇(すめらみこと)は常に民とともにあるという現代の象徴天皇制につながる思想が、万葉集において既に体現されているのです。
「やまとうた」の起源は、日本から遠く東南アジアにまで及ぶ〈歌垣〉という伝統習俗にもとめられます。
〈歌垣〉では男女の求愛歌をはじめ、創生神話歌・豊作祈願歌・収穫歌・葬送歌など幅広いジャンルの歌の掛け合いがあります。
この歌垣歌謡をはじめ、〈和歌〉においては
・自然景観や事象などの「情景」をよむ
・人の「心象」をよむ
・そして、事象の深層にある意識体としての真の情報を「暗喩」として表現する
これら少なくとも三段階の発信を「ことば」にのせ、「自然万物との共鳴をかなでる」のが本来のかたちなのです。
さらに〈歌垣〉の歌謡には、既に三・五・七の音律に従う固定的な旋律と定型詞があり、この約束事を守りながら即興で歌をつくり披露する技量と教養と心根(こころね)があったのです。
五・七調のしらべは、相手へのおもいやりや優しい感情を伝える音律であり、七・五調は対照的に素朴な力強さを感じさせる特徴があります。
我が国には古代から伝わるカタカムナ文字があり、それは「ウタヒ」といわれる80首の歌詞として五・七、七・五調での音律と一音一意の文字によって構成されています。
これらの歌詞には、〈もの〉が物であり霊であり、〈コト〉が事であり言葉であり、人の祈りが〈もの〉= 依代(よりしろ)と振舞うことで現象化するという「言霊(ことだま)」と、宇宙
万物の真理体系としての「数霊(かずたま)」とが一体のものであるという不朽不滅の時空の法則が表現されています。
こうして和歌は、五・七、七・五調のしらべとして
古代の「歌垣」
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万葉集での短歌・長歌などに代表される「上代歌謡」
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〈かな〉の発明からはじまる国風文化の創生に伴なう古今集から新古今集にいたる
「宮廷和歌」
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平安末期から流行した、格調高い〈遊び〉を謳歌する「今様」
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中世の大衆芸能である田楽と〈ものまね芸〉の一種である申楽(さるがく)から発展し
幽玄・夢幻の世界観へと昇華させた「能楽・謡曲」
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中近世に入り、人々の集まりの中での共有意識が醸成されるのに伴い、宮廷文化の
〈雅び〉から〈サビ・ワビ〉にいたる風流の型を生み出した「連歌」と、これに
つづく「徘諧」
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人間の自由精神=〈数寄〉(すき)をリアリズムとみる「近代写生短歌」
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文明開化以降、大衆文化の中で、はぐくまれてきた「演歌」
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「昭和歌謡」の数々
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現代の「J・ポップ」
へと連綿とつづく日本固有の「国風歌謡」=(くにぶりのうた)の原型となっているのです。
<拙歌>


古今和歌集仮名序

歌垣のイメージシーン

カタカムナ・ウタヒ 第一首

花鳥風月のイメージ
